沢庵凜のバッテリー残35%な人生

こんにちは、沢庵凜と申します。

大好きな健さん映画をご紹介します ~ 居酒屋兆治 ~

こんにちは

元々このブログは、大好きな健さんについて語りたい!

健さん映画を紹介したい!というような事で始めているのですが、

実は意外にまだ紹介しておりません・・・

 

そこで

先日の「駅-STATION-」に続きまして、

今回は「居酒屋兆治」をご紹介したいと思います。

 

movies.yahoo.co.jp

1983年公開の映画です。

監督は降旗康男監督。

健さん東映を退社しフリーになってから出演した映画の多くを監督し、

「晩年の健さん映画と言えば降旗監督」と言っても過言ではない、

健さんも全幅の信頼を寄せた監督さんです。

 

この映画で特に私がお勧めしたいところは、

主要キャストが役柄とご本人の実情とオーバーラップするところです。

すみません・・・、私の勝手な印象ですが・・・

 

まず主人公が、世間の人が想う健さんのイメージそのままです。

映画の中で、

居酒屋を営むことになった経緯、

居酒屋の常連客との諍い、

そして昔の恋人との関係、

その全てが不器用で、でもまっすぐで、健さんのイメージそのままだと感じます。

 

奥さん役で出演しているのは、歌手の加藤登紀子さん。

演技などしたことがないという加藤さんは一旦はオファーを断ったそうですが、

健さんご本人にも促され、一大決心で出演したと言います。

「人が人を想うことは、誰にも止められない」というセリフは、

語り継がれる名言になりました。

 

加藤さんは、プライベートで学生運動の指導者だった男性と、

彼が服役中に結婚されています。

所謂「獄中結婚」です。

そんなご本人の経験が活かされたのかどうかはわかりませんが、

映画の中で警察署に拘留されていた健さんを迎えに行くシーンでは、

健さんも思わず納得の演技をされています。

 

また、昔愛した女性役で大原麗子さん出演されています。

この大原さんがとても可愛くて、

ウイスキーの宣伝同様に、男心を擽ります。

大原麗子さんは、大の健さんファンだったことで有名です。

ファンというより、男性として恋していたのではないかとも言われています。

 

映画の中では健さん演じる主人公への想いを断ち切れず、

酒に溺れて身体を壊し、ボロボロになって最後は亡くなってしまいます。

現実世界でも誰にも看取られずに亡くなってしまった大原さん。

今となってはそんな実像もオーバーラップして、

より一層の物悲しさを醸し出しています。

 

健さんにしろ、加藤登紀子さんにしろ、大原麗子さんにしろ、

何となく、ご本人さん達の現実世界でのキャラクターを投影しているような、

そんな印象を受ける作品です。

 

またそれ故に、個々のキャラクターが一片の違和感も無く、

しみ込んできます。

 

健さんの映画の中でも特に好きな映画の一つです。

是非ご覧になってみてください。

 

諸行無常を実感しています

Twitterやインスタグラムがすっかり主流になった今、ブログを書くことから遠ざかっておりました。

 

どうも、沢庵凜です。

 

最近はホントに記事の更新をさぼっていましたが、その間、私には多くの出来事が起こりました。

今日はそのうちの一つをお話したいと思います。

 

大変残念ではありますが、私は離婚を経験いたしました。

 

以前このブログでも夫婦についての想いを書きましたが、途中どんな困難な局面があったとしても、私としては命尽きるまで添い遂げようと思っておりました。

それが道半ばで潰えてしまい、人生とは中々思うようにはいかないものだなと、改めて実感した次第です。

 

数か月間は喪失感に苛まれましたが、どうにか気持ちを整理して、今は穏やかに独りの人生を満喫しています。

 

結婚していた時は、自分が生きる意味とか、自分の存在価値というようなものについて、妻や子供に依存していました。

彼ら、彼女らにとって必要だから・・・

それが生きる原動力であったり、働くこと、辛い事にも負けない心、そんな力の源になっていたように思います。

 

ですから離婚という状況を受け入れるのには、少し時間が掛かりました。

 

でも、結婚していても、子供が居ても、自分の人生は自分で生きるしかないんですよね。

彼ら彼女らの為に、などと思ってみても、彼ら彼女らの人生を私が生きる事は出来ないし、同じように私の人生も私にしか生きられない。

 

そう考えた時、私の人生に私自身がもっと向き合い、大切にしなければという想いに至りました。

 

タイトルにもあるように、私は概ね人生の2/3を終えています。

残り35%程の自分の人生をいかに楽しむか、今はその事だけを考えて生きています。

そんな風に考えて日々生活し、今まで味わったことの無い充実感を満喫しています。

 

だからもし、今、離婚問題で悩んでおられる方がいたら、その人に是非言いたいです。

 

今までのあなたの人生、居場所があなたの全てではありません。

誰かの為に、何かの為にと思って蓋をしていた部分から自分を解き放ってみると、そこには今まで見ていなかった自分があります。

 

折角一人になるのだから、蓋して見てこなかった自分に向き合ってみてください。

そこには知らなかった自分や、可能性みたいなものが必ずあります。

 

そんな自分と向き合うことはとても新鮮で、正に自分の人生を謳歌していると実感することが出来ます。

 

みなさん、自分の人生を心から満喫してますか?

バッテリー残が少し減少しました

こんにちは

購読いただいている人はいないので、どうでもいい事ですが、

ブログのタイトルを微調整しました

 

本ブログは2018年に始めていますが、

あれから3年が経過し、

その分私の人生(バッテリー)残も減っておりますので、

今の年齢から計算して37%にしました

 

細かいですが、78歳まで生きる前提で計算しています

元々は80歳で計算していたのですが、

あまり残りの時間が沢山あると思わない方がいいなと、

最近はそんな風に思う事も多いですし、

80歳で生きている自分が想像できないので・・・。

 

78歳も想像できませんが・・・

 

残りの時間を意識して、

無駄にしないようにとおもっています

 

 

 

 

 

映画「駅-STATION-」のロケ地に行ってきました

こんにちは。

先日、映画「駅-STATION-」のロケ地である、増毛駅に行ってきました。

このブログで過去に何本かの健さん映画をご紹介していますが、

この映画に触れるのは今回が初めてです。

 

movies.yahoo.co.jp

警察官である主人公(健さん)と、3人の女性との出会いと別れを描いた作品で、3部構成になっている、ちょっと他の作品とは趣きの違う映画です。

 

この3部構成というのが、初見ではちょっと意味がわかりにくいかもしれませんが、何度も見ることで3つの物語に繋がりを感じ、見る度に新しい発見があって、大好きな映画の一つです。

 

以前ご紹介した「冬の華」と同じく、脚本は倉本聰さん、監督が降旗康男さんという東大の先輩後輩コンビの作品です。

 

今回私が行ったのは、物語の軸となっている増毛駅とその周辺、それから主人公の故郷という設定だった雄冬です。

 

映画の中で雄冬は、陸路で行くことの出来ない”陸の孤島”として描かれていて、増毛港から船で移動しているのですが、現在は国道が整備されており、増毛からは海岸線を走る”オロロンライン(R231)”で繋がっています。

 

増毛駅は、倍賞千恵子さん演じる桐子が昔の男を待ち続けて通っている駅であり、健さん演じる主人公が、実家に帰省する際の船への乗り換え駅として描かれています。

現在は廃線になっていて駅本来の役目は終えていますが、開通当時の駅舎を復元して観光スポットになっています。

 

この増毛駅のすぐ隣には”風待食堂”という(これも映画の中で重要な意味を持つ場所ですが)建物が残されています。
現在は食堂ではなく観光案内所になっていて、映画撮影時の写真などが展示されていますが、倍賞さん演じる桐子が駅近くで営んでいた「桐子」という小料理屋が再現されています。

 

映画のジャケットにもなっている、倍賞さんが健さんにもたれながら「舟唄」を歌うシーンはこの桐子というお店の中での一幕です。

 

とにかく健さんファンなら、またこの映画のファンなら垂涎のスポットですし、増毛から雄冬を通り、札幌へと繋がるオロロンラインは、海スレスレを走る絶景ドライブスポットでもあります。

健さんファンでなくても、一見の価値ありです!

 

北海道に旅行される際には是非、訪れてみてください!!

 

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メダルかじり

こんにちは。

 

始まる前から色々あったオリンピック。

 

開催の是非やマスコミの姿勢など、

色々思うところはありますが、

各選手のここに掛けてきた一途な想いや、

プレーそのもの、結果に対しては、

感動以外何もないですよね。

 

そんな中で、名古屋市長のメダルかじりが大きな話題になっています。

 

選手の想いとか、衛生的な問題とか、

言われていることは全く当然のことばかりですが、

私は、そもそも人が大事にしているものをかむこと自体に啞然としています。

 

例えば友達の家に遊びに行って、

大切にしているものを見せてもらったとき、

傷つけたり壊したりしないように、

手に取ることすら躊躇します。

 

近くで見せてもらいながら、

それに触れたいと思うのなら、

手に取っても良いかとお願いして、

恐る恐る手にします。

 

仮にお金を払えば、同じものが手に入るとしても、

そのモノへの思い入れだってあるでしょうしね。

 

金メダルをかむのは、金メダルをもらった本人が、

嬉しさを表現する行為として、

これまで見てきましたが、

他人がそれを真似るという発想が全く理解出来ません。

 

これってデリカシーの問題なのでしょうか?

世代間のギャップとも思いません。

 

最終的にどういう形でこの問題を幕引くのかは、

ご本人と市長の問題なので、どうしろこうしろとは思いませんが、

どうしてこんな当たり前のことを

いい歳した大人が出来ないのか、

それも立場のある人が出来ないのか、

ただただ残念でなりません。

今、学校の始業を9月に移行する事について

ネットを見ても、テレビを付けても、世の中コロナ一色といった感があり、

少々話題に飽きてきたという方も多いのではないでしょうか?

 

勿論、感染拡大は大きな問題で、私自身戦々恐々と日々を過ごしていますが、

同じような不毛な議論を聞かされるばかりの状況には、辟易しています。

 

そんな中、学校の”9月新年度制”が少し議論されていますね。

私には今春中学3年生になった息子がいますので、

これはやはり他人事ではありません。

 

我らが大阪府の吉村知事は、今やらなければ一生出来ないと言いました。

新学期の9月移行自体に反対する人、

9月以降には前向きだけどこの9月からの導入には反対という人、

色んな人の色んな意見があって収拾がつかない状態です。

 

私個人としては・・・、

今学校の始業が遅れているから、というだけが移行の目的なら反対です。

 

4月よりも9月の方が総合的にみて良いのであれば、移行自体は否定しませんが、

弊害が出るところは確実にあるわけですから、

そこをどうカバーするのかをしっかり議論しなければいけません。

 

今、学校再開が遅れている状況の打開策としては別な方法があると思っています。

 

例えば土曜日の授業再開はどうでしょうか。

 年間52週のうち夏・冬・春休み期間中の土曜日を除いても、

40~45週の土曜日がありますから、半日授業すれば20~22、23日分になります。

これでほぼ1ヶ月の遅れは補える計算です。

 

私が子供の頃は土曜日も授業がありました。

かつてはやっていた事ですから、出来ないことではないですよね、きっと。

 

夏休みや冬休みの短縮も既に国民の中に規定路線という思いがありますから、

これも受け入れられるでしょう。

特に夏休みの短縮は子供の体力的に無理はないのかと少し心配もありますが、

これらで2カ月分位の遅れは何とかなりそうです。

 

仮にそれ以上の遅れになる場合、

年度の終了時期を3月末では無く4月末にするというのも手だと思います。

 

今、形の上では新年度は一応4月にスタートした事になっていますが、

実際授業は始まっておらず、事実上新年度は始まっていません。

であれば、来年は計画的にスタート時期を遅らせてもいいんじゃないでしょうか?

 

次年度だけで消化しきれないなら、数年かけて回復してもいいと思います。

9月に移行するよりもずっと弊害は少ないのではないでしょうか。

 

土曜日授業したり、夏休みを削ったりするよりも、

1ヶ月だけ修了と始業のタイミングを数年間遅らせる。

ダメですかねぇ。

 

今、始業が遅れているから、それを上手く利用して9月始業に移行しようというのは、

あまりにも乱暴な施策だと思います。

 

今起きているような非常事態は、未来でも起きる可能性があります。

仮に今回の影響で9月始業に移行したとして、

未来の非常事態で9月始業が出来なければ、また4月に戻すのでしょうか?

そう考えたら、今移行するのが正しい選択ではないと分かるはずです。

 

9月移行は少なくとも3~5年前から宣言してやらないとダメかなと思います。

これは議論に直接参加出来ない国民一人一人が受け入れる為の時間です。

気持ちの面でも、実生活上でも時間が必要です。

 

 

便利で生きにくい世の中

最近TwitterFacebook、LineといったSNS

子供が影響力を理解せずに利用して大きな騒動を起こしたり、

中にはいじめなど痛ましい事件の発端ともなっています。

 

子供は未熟だからこそ子供です。

子供にこんな便利で愉快なツールを見せたら、

このような事態になる事は大人が理解すべきだったとも思います。

 

もっとも大人もリスクを把握しきれていません。

それも社会的に影響力のある人、立場のある人など、

”立派”な人が失言して謝罪するような騒動が毎日のように起きています。

 

世の中がどんどん便利になっていくのは良いことですが、

道具に人間が振り回されている気がしてなりません。

 

こんな時代に親として、子供が騒動や事件に巻き込まれないために、

何をどうアドバイスすればいいのでしょうか。

 

既に子供の方がSNSに詳しいくらいです。

でもそれでも子供はやっぱり未熟なのです。

 

確かに便利な世の中にはなりましたけど、

決して生き易い世の中にはなっていないなと思う今日この頃です。