夫婦観 Part2
こんにちは!沢庵凜です。
先日、樹木希林さんの訃報に接し、夫婦観について考えさせられました。
時には反面教師として何かと両親を手本としてきましたが、昨年母が他界した時に夫婦としての両親について、それまでの印象と大きく異なる父の姿をみました。
母は昨年癌で他界したのですが、母の癌が分かったのが亡くなる半年位前で、分った時には既に末期の状態でした。
そこから父による母の看護・介護が始まったのですが、これまでの父からは想像もつかない献身さであり、マメさでした。
仕事を辞めて毎日母に寄り添いました。
早朝に起きて朝食を準備する。
ただトーストを焼いて終わりではなく、サラダを作り、目玉焼きを焼き、癌に効くと本で調べた特製のやさいジュースを用意して、母に食べさせました。
母は少しずつ食べる量も食べられるものも少なくなっていきましたが、常に食べたい、食べられそうと母が言う食事を用意して、少しでも口に出来るようにと工夫して、ネットや本で調べて、かかりつけの医師や看護師に相談して、食事の用意をし続けました。
決してレトルトものに頼る事はせず、母の身体に良いもの、癌と戦えるものをと尽くしていました。
徐々に弱っていく母は一人でお風呂に入れなくなりましたが、父が介助して母の身体を洗ってあげました。
そのうち今度は自宅のトイレではスペースの問題で用を足すことが出来なくなりましたが、父は母のベッド脇に簡易トイレを用意して、用を足したらマメに処理し部屋に臭いが残らないように母を気遣いました。
母は花を育てるのが好きで、庭に沢山の花を植え、家の中にも鉢植えを沢山育てていました。それらの世話を母が出来なくなったので、父は母の指示通りに世話を代行しました。
私と弟の二人兄弟ですが、兄弟共に遠く離れたところに暮らしており、母の介護は父に任せっきりでした。
月に1度、弟と交替で実家を訪れましたが、父は私達が手伝うことを拒みました。
そればかりか、私達の食事の世話や後片付け、お風呂の用意に布団の用意、これまでは実家に帰るといつも母がしてくれていた事を、父がしてくれました。
お中元にお歳暮、孫の誕生日やクリスマス、これまで母がしていた贈り物も全て父が滞ることなくやり切りました。
元々自分で何でも出来る父ではありますが、母が元気な時は家事全般を一切しない人でした。その代わり外で働き家計を支えることを一生懸命してくれました。
子供の頃はよく夫婦喧嘩を目の当たりにしましたが、父は母に手を上げる事もありました。
亭主関白という事でもありませんし、家庭を顧みないという人でもありませんが、人を気遣いマメに振る舞うというのは全くイメージになかった人でした。
欲しかったら自分で欲しいと言うだろう。言わないということは必要ないという事だろう。そんな人でした。
医師から余命を告げられていて少なくとも根治が望める状態でない事は明らかでしたが、残り僅かな時間だからという事での献身でもなく、最後の2週間位までは本気で根治を期待していました。
母よりも父が先にどうにかなってしまうんじゃないか、そんな心配をしてしまう程父は献身的に母を介護しました。
夫婦としての二人の姿を見れた最後のひと時となりましたが、最後に「これぞ夫婦!」という姿を見せられた想いでした。
母の療養と死、そして 父の母への献身を目の当たりにした事で、二人から色んな事を教えられた気がします。
私も既に子の親ですが、子として両親からの最後の教えを受けたような気がします。
それでもまだ、父から聞きたい事、教えてもらいたい事が沢山あります。
もしかするとそれは自分で考えて答えを出すべき事なのかもしれませんが、夫婦とは何なのか?背中で教えてもらった事、そこから自分なりに解釈した事が正しいのかどうか、今度は言葉で聞きたい衝動にかられています。
それはいずれ、私が子に伝えるものとなるのですね。
あと42%の人生の中で、その事に結論を得て、子に伝えることが出来るのでしょうか・・・。