沢庵凜のバッテリー残35%な人生

こんにちは、沢庵凜と申します。

高倉健さんへの想い

健さんがお亡くなりになってもう4年が経ちました。

お亡くなりになった日の、
正確には報道された日の事は今も忘れる事が出来なくて、
その日の新聞記事を今も保管しています。

鉄道員(ぽっぽや)」辺りの、
健さんが60代後半だった頃、
スクリーンに映る健さんの年齢を全く感じさせない
姿勢や動きなどに、
この人は老いることが無いのだろうかと、
この人は死なないのかもしれないと、
ぼんやりとそんな風に感じていたものです。
私は健さんより40歳以上若いのですが、
自分の方が先に死ぬのかもしれないと思ったほどです。

ただ・・・、
「単騎、千里を走る」という映画までは
そんな風に衰えを感じることがあまり無かったのですが、
遺作となった「あなたへ」を見た時には、
随分を痩せられたなあと、
一抹の不安を感じていました。

富山刑務所の指導教官役で、
制服を纏うその姿や、
時折アップで映し出される健さんの手に、
老いを感じてしまい、
言いようのない寂しさを感じました。

この「あなたへ」は大滝秀治さんの遺作でもあり、
確か健さんも追悼コメントを出されていたと思います。
健さんはまだコメントを出す側の人であって、
まさかご自身の遺作になるとは思いませんでした。

「あなたへ」の劇中で、
健さん演じる倉島英二の妻洋子が病気で亡くなるわけですが、
その最愛の人を奪った病魔が「悪性リンパ腫」で、
現実世界で健さんを死に至らしめたのも「悪性リンパ腫」です。

健さんは次回作の制作にも意欲的でしたから、
次回作を作る喜びを健さんから奪った病魔もまた、
悪性リンパ腫」だったということになります。
何か不思議な感じがします。

「あなたへ」の撮影期間中、
健さんNHKの取材を受けていました。
ご本人としては既に期するものがあったのかどうか、
私はこれを永久保存版にして、
もう暗記してしまうほど、何度も何度も見ています。

健さんについては、
長年タッグを組んだ降旗監督を筆頭に、
多くの方々が在りし日の健さんを語っておられ、
そのどれもが
健さんの素晴らしい人柄を偲ばせるものばかりです。

それらは全て私の健さんイメージとも重なりますが、
一方で私は、健さんを嫌だと思っていた人の、
嫌なやつエピソードは無いのかよって思うこともあります。

逆にそんな一面も持っていてくれないと
自分が何と卑しい人間なんだと思ってしまうからです。
その位、健さんは完璧に生きておられたように思います。

きっと自分を律して、
我慢する事も多い人生を送られたのだと思います。
それは人からは美しい生き方だと称賛されますが、
そう強いている本人にとって、
それは楽しい人生だったのかと、
時々考えさせられます。

先の密着取材では、
ご自身の生い立ちから丁寧に語っておられますが、
それは何があったかであって、
どう思っていたかはあまり語られていません。

そんな中、共演の綾瀬はるかさんとの談笑で、
ふと、「不幸の連続だったよ」と漏らす一コマがあります。

あくまでも自然な談笑風景であって、
インタビューではない一コマの会話ですが、
だからこそ私はここに、
健さんの本音があるんじゃないかなって、
少し思っています。

「みんな良い人だとか、偉い人だとか言うけどさぁ~
大変なんだぜ、こんな生き方。
良いことなんてあまりなくて、不幸の連続だったよ~」

本当のところ、わかってくれよって
ちょっとだけ言いたかったのかな、
わかる人だけわかればいいやくらいで、
こっそり本音を忍ばせたのかなって。
いたずら好きだった健さんだけに、
そんな風に思います。

そんな風に思えると、
何か少しだけ健さんと触れ合えたような気持ちになって、
健さんも生身の人間なんだって思えて、
自分の事も少しは肯定出来るなって思います。

バカみたいですが、
私はいつか健さんにお会いしたいと思っていましたし、
お会い出来ると思っていました。

行きつけの床屋さんに行こうかな、とか
お気に入りの喫茶店に行ってみようかな、とか
いつか、いつかと思いながら、
とうとう叶いませんでした。

お亡くなりになってから、
今、そんな健さん縁の地を訪ねています。

健さんが愛した珈琲を、
健さんが愛した場所で飲んで、
少しでもその時の健さんの想いに近づけたらなって
そんな風に思っています。